奈良時代〜平安時代の性風俗
古代から時はずいぶん経過し、8世紀に入り奈良時代が来ると、天皇を中心とする政権体制が整い、国家精力は、北はは東北地方から暖かい九州南端にまでおよび、都を中心に大陸文化の影響が強い天平文化がさかえた。
そして巫女さんが行っていたような宗教的な意義が薄れ、徐々に売春(当時、言葉は未だ無いが)というものが職業化していった時代でもあり、これが遊行女婦というのだそうです。遊行女婦の名の由来は、巫女さんが当時全国各地を、めぐっていたことにより各地でこの名が付く事になったそうです。
その後、平安時代に入ると都では十万人以上の人々が生活しており非常に栄えていたようです、そこではどのような形式なのかは良くわかりませんが、もちろん女性も売られており、女性は身を売る代償に布や食料を受け取っていたようです。まだ少し宗教的な意味も若干ではあるが名残があり、都の「市」で身を売る事で、心身の汚れを清める作用があると信じられていたようで、夫がいても罪悪感は無く通りすがりの男達との性交をお楽しみ頂いたそうです。
9世紀ごろ当時、唐の国の長安で男の娼婦?が流行っており、遣唐使船に乗った僧が唐に渡り、新しい性交スタイル(男性と交わるスタイル)に味を占めてしまい、日本に帰国時、その性交スタイルを日本に広めたそうです。
当時のお坊さんは、女性と交わると厳しく罰せられていたそうです。(無理も無いか)