遊郭と性病
江戸には幕府が公認している吉原遊郭のほか、ありとあらゆる場所に売春街や女郎屋があり、また、街角では夜になると幕府非公認の夜鷹(現在で言う立ちんぼ)が出現していました。
とにかく江戸の町は売春が横行していたようです。
当時吉原の遊女というと特別な存在で、また売春を行っている遊女と夫婦になるということは単に売春婦と結婚すると言うような感覚ではなく、当時の遊女は頭も良く教養もあった為、遊女を娶るという事、それは男の憧れであり、ステイタスでもあったようです。現在とは感覚が違い、幕府公認で世間も認めた場所で働いている女性と夫婦になるということもあり、けっしてスキャンダルではなく、ややこしい話ですが、借金の為、仕方なく幕府公認の遊郭で働いている、美人で教養もある素晴らしい女性を、お金を出して助け出し、夫婦になるという、お涙ちょうだいのお話かもしれません。
もちろんお金が無くてはそんな事到底出来るわけも無いので男の甲斐性でもあったわけです。
そんなお涙ちょうだいのお話もありますが、そんな話はほんの僅かでしかなく、遊女自体は悲惨な人生である事には違いない、14〜5歳で連れてこられ、毎夜、不特定多数の客と相手しなければならない為、勿論性病に侵されるわけで、当時もちろんコンドームなどは無く、梅毒や淋病などの性感染症に対しては無防備極まりない状態でした。遊郭には性病が蔓延していて、恐ろしい事に遊郭で遊んで性病に感染する確立は30%〜40%の確立だったそうです。もちろん抗生物質などあるわけも無く、感染すると、完治することは無いのです。
また、医学の全般の知識が発達していないこの時期、性病などで働けなくなった遊女は養生小屋の別荘へ送られました。そして運が悪い場合はそのまま寂しく死んでゆくのです。
(遊女達の平均死亡年齢は20代前半だったようです)