戦後の赤線、青線地帯
GHQとはGeneral Headquarters(総司令部、総本部)の略で、1945年にアメリカ政府が設置した対日占領政策の実施機関で東京に設置された管理機関の意味。
1952年にサンフランシスコ講和条約発効とともに廃止されるまで日本を支配していた。
RAAとはRecreation and Amusement Association(保養慰安協会)の略で、戦後に作られた進駐軍向けの風俗営業施設、または施設のある地域の事を意味します。
赤線・青線とは、RAAが解散した事により職を失った女性が数多くおりその女性達が街娼となり、街娼のいる地域は「特殊飲食店」と呼ばれ、売春が許可されていました。
その売春が許可された地域(特飲街)の地図を警察が赤く囲んだ事から「赤線」、その周辺の私娼街、つまりは飲食街の営業許可だけで非公認の売春を行う店が集まっている地域を地図上に青く囲んだことから「青線」と呼ばれるようになっていたようです。
現在では完全に死語ですが、「パンパン」とは、RAAの閉鎖により失業する女性が増加したが、その女性達が夜の町角で再び春を売るようになった当時の売春婦の呼び方。
「パンマ」とは、「パンパン」と「アンマ師」を掛け合わせた造語で、売春を兼ねたマッサージ師のこと。1952年頃に隆盛を迎えた風俗形態。 売春防止法施行により失業した女性などが、
ホテルや旅館に表向きはアンマ(マッサージ嬢)として出向き、裏では売春を行っていた。